近年痔の手術治療方法も日進月歩のようです。
以前掲載した 痔闘病記を記した頃に比べて格段進化した治療法を実践している病院もありますので
本ページは過去の体験記としてお読み下さい。
おだ日帰り手術クリニックをお勧めします。
私製 痔闘病記
内容をオンラインにて閲覧出来るようにいたしました。
なお、私がお世話になりました病院は、北九州市小倉北区にあります坂田肛門科です
世の中には、痔でお悩みの方も多いことかと思います。 しかしながら、病気が病気だけに、病院行くことをためらい、その結果 痔の手術というものは一体どんなものなのだろうか? この本は、今から10年以上前、私自身が実際に体験した手術、入院時の ★サイズ:A5たて型、約30ページ |
はしがき
この冊子を手にとられたあなたは、きっと今、痔に悩んでおられる方でしょう。
私ももちろん、痔をわずらい、長い間なんとか一人で治せないものかと悪戦苦闘してまいりましたが、あまりの出血のひどさに意を決して坂田肛門科医院をお訪ねしました。
結論から申しましょう。あなたが、痔で悩まれているのでしたら一日も早く、名医坂田寛人先生に診断していただくことがあなたを今の苦しみから少しでも楽にする最短コースです。
痔の病院に行くとすぐに手術されて痛い思いをすると恐れてはいませんか?何週間も入院させられて仕事や家庭生活がくるってしまうと思いわずらってはいませんか?
坂田医院では、誰彼かまわず手術をするような乱暴な医療の心配はまったくありません。
患者であるあなたの症状に合わせて診断方法を決めてくださいます。もし、その結果、手術が必要であれば、すべて、先生におまかせすること。急がば回れ、これが大事です。
(短期間で完治するが如き歌い文句で、患者を集めるような悪徳療法に注意しましょう、最低限必要な治療期間は必ずあるのです)
幸か不幸か、坂田医院は評判がいいので患者さんが多く、手術が必要でもすぐに入院するわけにはいかないことでしょう(極度の重症であれば、翌日入院も考慮して下さいます)。ですから、なによりまず、先生に見ていただくことが先決なのです。
坂田肛門科に勇気を出して行ってみて下さい。数ヵ月後、きっと、あなたは、生まれ代わった気分でこの病院を見上げることでしょう。
私は、そのことの証人です。
目次
まえがきに代えて
痔というもの
私といぼ痔闘病記
痔とお尻あい(お知合い)になるまで
痔核(自覚)にめざめる
痛や大小苦労(いたやだいこくろう)
流血戦始まる
パニック!トイレットペーパー不足の再来か
"あっ、サイアク"
入院食もおいしいですよ
手術前夜
いざ手術室へ
痔っと、がまんの子であった
無事、開通(快通)
退院まで 一進無退
坂田肛門科医院に感謝
名医 坂田寛人先生
スタッフのみなさん、ありがとう
院内こぼればなし
指定席
看護婦Mさん
がんばれSさん
私たちも本当につらかった
患者のひとりごと
名医の条件
白衣の天使
患者の心得
病気の意味
医薬分業は必要か
お見舞い再考
見えないところを大切に(痔の予防とその治療)
痔友応援歌
俺はイボジだ 主題歌「(痔の)友達よ泣くんじゃない」
あとがきに代えて
なぜ私は書き残したかったのか
まえがきに代えて
痔というもの
「誰もわかってくれない痔の痛み、誰にも知られずひっそりと治したい。」新聞などでよく見かける痔の薬の広告の文句です。自分が痔であることをおおっぴらにいう人はまずいないでしょう。誰でも、恥ずかしい病気だと思っているのではないでしょうか。
私も、入院が決まった後、仕事などの関係先にしばらく休む旨、説明して回ったのですが、同情される人の中に何かしら白い目を感じたのは必ずしも気のせいではないでしょう。私自身も、病院でおしりを見られる(痔のおしりがきれいなもののはずはありませんから)恥ずかしさに長く病院に行くのをためらっておりました。でも、やむをえず痔のことをお話すると、実は私もそうなんだけどという人が予想どうり多いのです。日本人の3人に1人は痔を病んでいるというのを聞いたことがありますが、案外、本当でしょう。
でも、多くの人は、なかなか病院までは行きません。なぜでしょうか?
(1) 医者や看護婦といえども他人に局部を見られるのはイヤだ
(2) もし、手術ともなれば相当に痛いらしい
手術後の排便の時はどうなるのだろう
(3) 通院はともかく、入院ともなると大変だ
仕事や家事はどうしたらいいんだろう
おおまかに考えてこんな理由が考えられましょう。
私が、この通りでした。薬もいろいろ試しましたが、長続きしなかったからでしょうか、どれも、一時しのぎ程度にしかなりませんでした。
そもそも痔とはどんな病気なのでしょうか。新聞などで広告をよく見かけるH堂のパンフレットにはこう書かれています。「痔とは血の病であり、内臓の病気でありますから外科的手術などでは完治できないものです。」この説明は、病院へ行くことをためらっている者にとってまことに都合の良いものです。それは、出来れば手術などしたくない者にとって自己正当化の大義名分になり得るからです。しかしながら、この説明は正しいといえるのでしょうか?
これに対して、病院内にあった掲示板には次のような説明がなされていました。
病 名 | 原 因 | 症 状 |
痔核、脱肛 (いぼ痔) | 血行障害 | はれ、痛み、出血 |
裂痔 (きれ痔) | 外傷 | 痛み(排便後までも)、出血 |
痔ろう (あな痔) | 細菌感染 | はれ、痛み、膿(うみ)、発熱 |
いぼ痔は、痔の中でも最も多く見られるもので年齢層は十代から高齢の方まで幅広く、三十代がいちばん多いようです。いぼ痔は、内痔核、外痔核、脱肛の通称のようで、内痔核とは、肛門内部にいぼのようなはれものができるもの、外痔核とは、肛門周辺にできるもの、脱肛(だっこう)とは、内痔核が大きくなって肛門外に飛び出し指で押し込まなければ戻らなくなった状態になったものを指すようです。手術はこのいぼをメスやハサミで完全に切り取ってしまうものです。
きれ痔とは、排便時に便がかたかったりして、無理やり肛門を通った結果、肛門の内壁に亀裂を生じたもので、激しい痛みと出血を伴うようです。
痔ろうとは、肛門内部の微細な穴より細菌が感染し、徐々に侵食が進み、膿(うみ)が溜り、発熱を生じるようになり、最後には肛門周辺部に穴が開き膿が外側へ出て来るようになるもののようです。痔ろうには、その根ができるものがあり、手術によって切開を行い膿の除去が必要となるようです。
痔ろうときれ痔の場合は、10才以下の子供にも発生がみられます。下痢は、痔ろうの原因となることがあるので注意したいものです。
これらの内容から考えますと、確かに、いぼ痔の場合は、血の病であると考えられますが、進行してしまったものや、痔ろうなどは手術無しでよいとも断定できないように思えます。
私の場合は、脱肛でした。薬もいろいろ試しましたが、どれも一時しのぎ程度にしかなりませんでした。
私のいぼ痔闘病記
痔とお尻あい(お知合い)になるまで
子供の頃、便所は、外にありました。家から、15mほど離れたところにある会社の共同便所でした。昼間は、会社の人が利用していますから私がゆっくりと排便しようとすればおのずと夜になりました。便所には電灯がありませんでした。懐中電灯片手に新聞紙を持って行きました。新聞紙は、排便後のおしりを拭くためのものなのです。今からは、まったく想像できないでしょうが、当時のわが家はそうでした。新聞紙をくしゃくしゃともんでやわらかくして拭くのです。衛生観念がおそまつですが、事実です。これで、おしりにいいわけがありません。子供の頃から、排便後は、足がうまく運べないような感じがしましたが、まあこんなものだと思っていまして、痔が悪いのだと自覚したのは、ずいぶん後になって からです。
痔核(自覚)にめざめる
就職後、職場のトイレで初めて大量の出血がありました。何年前のことだったでしょうか正確には覚えていませんが、とにかくびっくりしました。これは、内臓に何か病気ができたのかと心配して職場の先輩に相談しましたところ、「真っ赤な鮮血?おまえ、それは痔だよ」と一笑にふされました。この時に、初めて自分が痔であると自覚したのですから、これが本当の痔核(いぼ痔)ですね。
痛や大小苦労(いたやだいこくろう)
痔であることがはっきりして、なんとかひっそり一人で治せないものかと新聞広告などでおなじみのH堂の薬を試してみることにしました。一枚のハガキを出すとさっそく試供品が送られてきましたが、驚いたのはその値段の高さでした。しかしながら、背に腹は代えられません、さっそく1セット注文して、治療にかかりました。この薬は、丸薬と挿入薬からなっています。丸薬はともかく、挿入薬の方は、なかなか手間のかかるものです。それでも、痔が治るならばと独身寮の二人部屋の相棒の目を盗みつつ、薬をつけました。根気よく続けることが完治にいたる道ですと、H堂のパンフレットにはありますが、結局は、最後まで治療できませんでした。完治するまで薬を続ければ、あるいは、完治したのでしょうか、それはわかりませんが、薬代、一人で治療し続けることのむずかしさに私はいつのまにか、治療をやめてしまいました。治ったからではありません。薬とは別に、出血は一度きりで止まったからです。
流血戦始まる
あなたは大腸癌を防ぐために食べることができる一つのこと
平成3年3月、私は15年間勤めた職場を退職しました。いわゆる、脱サラですが、これが脱肛への序曲となったのです。以前の職場は、プラント(工業設備)の設計会社でしたからデスクワークとしての座り仕事が多いところでした。脱サラ後は設計事務所を開いて、図面を書くのを商売にしましたので、イスに座っている時間は、比べものにならないくらい長くなりました。
事務所(といっても自宅の2階ですが)を開設して一月ほどで痔が痛くなったのを感じましたが、かといって、手を休めるわけにもいきません、結局そのままほうっておきました。
瞬く間に2年が過ぎ、去年(平成5年)の夏、いよいよ流血が始まりました。いよいよやってきたかという気がし、病院に行くしかないなと観念し始めましたが、仕事は、多忙を極め、無休休暇しかない自営業者の弱みもあって再度、薬(止まって治す?×××S)でなんとかならないものかと悪あがきをいたしました。市販の薬は、案外高いものです、薬代もばかになりません。病院からもらった座薬が余っている(というのもおかしな話ですが)という知人から譲ってもらったりして何ヶ月かは、ごまかしてまいりました。大量流血は、なくなりましたが、排便後にトイレットペーパーに血がにじんだり、いつのまにか下着に血がついていたりする日々でした。
パニック!トイレットペーパー不足の再来か
年が明けて今年(平成6年)1月、再度の大量流血が現われました。朝の排便時、ポタポタと流れだした鮮血が、数日後には、まるで水鉄砲から水が出るようにシューと飛び出してきました。これには、肝を冷やしましたが、私をさらに慌てさせたのは、一度出始めたら最後、なかなか血が止まらなかったことです。トイレットペーパーで何度もおしりをおさえ止血をこころみますが、ペーパーはすぐに血で染まりました。2巻余りのペーパーを使ってやっと血は止まるありさまです。便器の中の水は、真っ赤に染まり、便座には血が飛び散ってなんとか終わりを告げるのです。この時点では、売薬の座薬は、まったく効果がありません。毎朝、トイレットペーパーをパックごと抱えてトイレに入るまでになりました。あ まりの流血に女房は貧血の心配をしはじめましたが、私は、「献血でも、400mlも取るんだし大丈夫だよ」と反論しました。しかし、献血は数ヵ月に一度、痔の出血はほとんど毎日、だんだん不安になってきました。
"あっ、サイアク"
もう、これはごまかしがきかないと観念した1月下旬、知人の評判をたよりに初めて坂田肛門科を訪ねました。
初めてお会いする坂田先生は、想像とはちがってあっさりとした小柄な方でした。先生は、評判の名医だと聞いてきましたからさぞ、偉そうな態度のいかめしい人かと思っていましたし、なんで、こんなに悪化するまでほおっておいたのかと叱られるのではないかと、小心な私は身を小さくして来ましたから内心ホット一息でした。先生は簡単な問診(症状と、発病の経緯)の後、診察台に上がるように指示されました。初めて、他人におしりを見せる瞬間ですが、その日の朝の排便後、痔は、出っぱなしで行きましたから(それまで、脱出した痔は、押し込むべきだということは聞いていましたが、とにかく一山、二山にとどまらない痔を無理やり指で押し込むなど到底できないと思い込んでいましたから、とにかくシ ャワーで水洗いした後のむき出し状態でした)最初にこれを見た看護婦Kさん(クールだが、若くて美人)のつぶやきが聞こえました。"あっ、サイアク"。「あれ、誰のことだろう?」と一瞬考えましたが、Kさんはまぎれもなく私のおしりの前に立っているわけですから私以外のはずはないのです。がっかり!、いえ、痔が最悪だったことではありません、若い看護婦さんに言われたこの一言が効いたのです。
入院食もおいしいですよ
この後、診断をされた先生は、一目見るなり、「ああ、これは手術された方がいいですな」と言われました。「おねがいします。」もう、自分でもそう覚悟していましたから、そう驚きもしませんでしたが、「入院期間は、余裕をみると3週間、入院日は、一般病室でしたら4月か5月頃、一日7千円の自己負担の加わる特別室(2人部屋)でしたら、3月8日が、空いています」とのお話には、びっくりしました。評判は聞いていましたが、そんなに待たないといけないとは。3週間の無休休暇(退院後の通院もあるだろう)、自己負担率の高い国民健康保険、生命保険がきくとしても経済的負担は大きい、が、今の状態では仕事にならない、「特別室でお願いします」、手術、入院が確定しました。
診察を終えての帰りしな、薬を渡してくれた薬局の女性スタッフのひとことが忘れられません。
「入院されるのですネ、ご心配入りませんよ、それに入院食もおいしですよ」
(この方のとおり、入院食は、おいしかった)
手術前夜
入院までの一ヶ月余り、数日間の通院の後、投薬と座薬を1週間分くらいづつもらって、自宅で普段通りの生活を続けました。診察後、いただいた挿入薬(小さなチューブ入りのもの、口を肛門内に入れて軟膏を押し出すようなもの)で、出血も止まり、とても押し込めないとあきらめていたいぼ痔も先生が言われるのでしたらと水洗い後に一押し、二押しというようにして痛みをこらえて押し込みましたらやっと入りました。その後は、要領をつかんだのか痛みはあるものの朝一度押し込んでしまえば、すっと楽になり、これまでの苦労がうそのようになりました。こんなことなら一般病室が空くまでもったかもしれないななどと考え始める始末です。(人間は、まったく勝手なものだなあ)
3月8日、入院道具を持って病院に入りました。翌日が手術です。病室に案内され、着替えて待機。その後、手術内容の説明会があり入浴を終えて入院生活がスタートしました。この日の心境、思ったより落ち着いている自分が不思議なくらい、夜もぐっすり眠れました。
いざ手術室へ
明けて手術日当日、朝食後は明朝まで絶食です。飲食は、一切できません。便の採集検査、血液検査、心電図測定などの検査の後、浣腸をうけて残便を出しきった後、肛門内に便が残ってないことの目視検査をうけ、肛門の周りの体毛を看護婦さんが剃ってくれます。手術は、午後から出あり、本日の手術患者は、6人です。
手術前、手術着としての浴衣の下にパンツをはいた姿で自室のベッドに寝て点滴を開始し、手術の順番を待ちます。まな板の上の鯉に例えたいところですが、なぜか落ち着いています。
手術の順番がやってきました。点滴をつけたまま看護婦さんに案内されて手術控え室へと向かいます。手術室前、手術中の赤いランプの点灯が目に入りました。先の方の手術がいま行われているところです。手術室とガラスで隔てられた隣の控え室へ、自分の手術は間近です。手術室の様子があわただしくなりました。手術の完了でしょう先生が控え室の戻ってこられました。手術着に身をつつんで目の部分だけが見えているもではないでしょうか、眼鏡を外した私には、周囲がぼんやりとしか見えません。先生は、ピッチャーがウォーミングアップするように肩を回しながら、「杉本さんね、ちゃんと治してあげますよ」と声をかけて下さいました。手術直前のこの先生の言葉は、本当に心強いものでした。手術前後を 通して、とうとう一度も胸の鼓動は高鳴ることはありませんでした。
手術室に入る前、下着を脱いでいよいよ手術室へ、まず腰椎麻酔をうけるために手術台に上がって体を横にして丸くなる体勢をとります。ここで体を包んでいた浴衣も外され、まさに丸裸の状態となります。恥ずかしいものだなと思うやいなや、腰に麻酔注射がうたれます。少しずつ、下半身の感覚が鈍くなっていく間に体勢をうつ伏せに変え両手を広げたT字形の状態で手術台に乗せられた格好になります。ここで、手術台は、お腹のあたりから逆V字形に電動でゆっくりと折れ曲がります。この結果、肛門部分は、手術に最適な位置になって、執刀する先生の前にむき出された形となります。わたしは、機械設計が仕事ですから、手術台が折れ曲がった高さが調整されると「ほう、最新鋭メディカルマシンか?」(こ の様な手術台が痔の手術機器として常識なのかどうかは知りませんが)と、興味は一瞬そちらに向きます。そろそろ執刀されるようですが、まだ、おしりを触られる感覚があります。恐る恐る看護婦さんに「あの、まだ、感覚があるのですが・・・」と聞いてみましたら、あっさり「感覚は少し残りますよ」との返答。どういことだろうと考えていると肛門のあたりにチカ、チカとわずかな痛みを感じました。まさか、麻酔が充分きいてないこともないはずだがと思いながらもすでに後方では、手術が始まっている気配もします。痛みは、まったくありません。どういうことだろうかと思いつつ、周りはあわただしい雰囲気です。左側の看護婦さんは、時折、血圧を測って読み上げています。実は、このことは、手術後のビデオを見ての推� ��ですが(注)麻酔は腰椎麻酔の後、肛門付近に何本かの局所麻酔注射を射っていました。あも時のチカチカと感じた痛みは、この注射だったのではないかと思っています。先生の横にはインターンの人だと思われる人が立って、先生は何か説明をしながら手を進められている様子です。
何分くらいたったでしょうか、自分ではほんの5分程度にしか感じませんでした、ぼーっとしていたらもう終ったという感じで、「終りましたよ」という感じで看護婦さんの声がかかるないなや手術台から寝返りをうつようにして、右側に用意されたストレッチャー上の浴衣の上に移り、下肢部を三角巾のようなもので包み込んだかと思うと浴衣に袖を通してもらい前を揃えて体勢を整え、手術室の扉が開いたかと思うとストレッチャーごと手術室を後にしたのです。この手際の良いこと、思わず「もう、終っちゃったんですか?」と声が出そうでした。手術室を出る時、頭に浮かんだコマーシャル・フレーズはN食品の「あーらよ、出前一丁」でした。
[手術台イメージ]
注)この病院では、男性患者のみ手術中の局部映像をビデオ撮影して記録すると同時に生中継で病棟のロビーのテレビに映し出されるのです。本人が、拒否すれば別ですが、ほとんど方は、反対いたしません。私も、手術前日にこのことを聞いた時には、いささか抵抗を感じましたが、ビデオをみんなで見ることによってこの病気の実態をまのあたりにすることができ、知識を交換しあい、こんな目に遭うのはもういやだ、もっと肛門を大事にしようという認識をあらたにできるのです。また、患者同士のコミニュケーション向上にもよい効果があります。みんな、身に覚えがある人ばかりですから、女性も含めてざっくばらんに話をし、痛くて苦痛の入院初期をはげましあいながら過ごすことができるのです。ビデオは 、本人が確認できるように2週間後、録画放映がロビーでされます。そのころは、痛みもほとんどなくなりますので、自分自身の手術状況を観察することができるのです。ビデオ撮影は、看護婦さんの一人が兼務し、その後は、まったく非公開です。
ビデオ撮影の主要目的は、手術の実際を映像記録で残すことにより病院内での事例研究や、インターン、新人看護婦の人たちへの教育教材とされているのではないかと推測されますが、百聞は一見にしかずの諺のとおり、貴重な資料であることにはまちがいありません。ちなみに、私の記録bヘ6373です。つまり開院以来、6373人目の手術患者ということですが、すごい数だと思います。
痔っと、がまんの子であった
手術を終えて迎える第一夜、麻酔のおかげかしばらくは痛みは、それほどでもありませんが、夜中になって、おしりを真下に向けると肛門が刺激されるためか痛みを感じようになり、右か左かいずれかに向いて横にならないとじってしていられないものですから、腰を少しづつずらしながら何度も体の向きを変えました。ふとももの所は動かないようにテープで固定されていましたから、そのうち伸ばしたままの両足がだるくなってきました。痛みからくるのでしょうかしきりに尿意がするのですが、看護婦さんによれば、「尿意は、ありますよ、でも、出ませんよ」とのこと。消灯時、やはり尿意を感じるものですから、看護婦さんにそう言ったら「今は、動けませんよ、尿も出ないと思いますけどシビンを持ってきて あげましょう」といってシビンを手元に置いておいてくれました。夜中、何度か排尿しようとシビンをあてがいましたが、結局、看護婦さんの言葉のとおり尿は出ませんでした。でも、シビンは、私の精神安定剤代わりになってくれました。(無駄と知りつつシビンを用意して下さる心づかいがありがたし)
無事、開通(快通)
痔の手術で患者が最も気になるのは手術後の排便ではないでしょうか。痔の手術ではなんらかの形で肛門に傷ができます。そこの傷が治るまで排便しないわけにはいきませんから必ず傷口を押し広げるかこすって便が出ていくわけです。どんな痛みなのか、頭では想像もつきませんし、経験者以外はわかりません。痛みは個人差がありますから他人の話を聞いてもあてになりませんし、それで痛みがなくなるわけでもないのですから、体験を待つだけです。排便以外にも、初めは以外に排尿に苦労すると、先週手術を終えられた同室のYさんのお話でしたが、翌朝、検温に来られた看護婦さんに「どうも、おしっこが出そうな気がします」と告げると「じゃ、行きましょうか」と言って気軽に点滴を付けたまま付き添って もらって排尿に行ったのでした。いきおいよく小便が出たときはホッとひと息でした。いやな顔ひとつせずに付き添ってくれた看護婦Kさん(前述のKさんとは別の方)に感謝。
手術の翌朝の食事は半かゆ、中食は全かゆ、そして夕食より普通食になりました。
最善の方法を購入しテストに合格する
おかゆのおかげでしょうか、夕方、小便をしていると急に便意をもよおしてそのままウォシュレット(洗浄装置付き便座の商品名、この病院のものは、実際は、I社のシャワートイレですが、この名前の方がピンとくるので、地元T社への敬意もこめてこう呼ばせていただきます)の方へ移動しましたら、便座に座るないなや、柔らかい便が肛門にあてたガーゼをはずす余裕もなく出てきました。まるで、赤ん坊のおもらしですが、恐れていた痛みはほとんど感じず開通式は無事ここに幕をあけたのです。どう処置したものか、初めての排便の時は、看護婦に連絡して下さいと云われていたのを思いだし、ためらいながらも、そばに備えられた呼び出しボタンを押しました。すぐに、看護婦さんがやって来られました。
「どうしました?」
「初めて、あのう、ウンチが出ました」
「そうですか、それじゃ、きれいに洗ってガーゼを付け替えて下さいね」
「あの、術後セット(手術後、排便時に自分で処置するためのもの、四角いガーゼ、アンネ、紙テープのセット)を持ってきてないんですが、杉本です、すみません」
「そうですか、それじゃ持ってきてあげましょうね」
この時の看護婦さん、声からすると、今朝、排尿の時にもお世話になったKさん?ではなかったでしょうか。重ねて、お礼申し上げます。
退院まで 一進無退
最初の排便は無事でしたが、2回目からは、そうはいきませんでした。いわゆる普通のかたさの便ですが、これがまた、痛いのなんのって、「イテテテテ・・・」と思わず声がもれました。(痔の手術を考えられている方へ、痛みは痛みですが決して死ぬほど痛いというものでもありません。案ずるより産むがやすしです)
それと、夜中になると気のせいか、痛みを感じるものです。そんな時は、痛み止めの薬をもらいます。でも、痛みも日毎に薄れていくのは確かです。「時間が薬です」とは、主任Fさんの言葉、冷たいようですが、実感です。
ご安心下さい。一周間後には、ほとんど痛みはなくなりました。
「苦しみにあったことは私にとって良いことでした」ある夜ふと聖書の一節が頭に浮かびました。
見られたくないところをさらけだして、痛みにあってみて、人の優しさにふれて、退院後の新しい生活を、なぜか強く生きられる気がしたからです。
入院2週間後、同室のYさん退院。「この病院では、さきに入院した患者が順送りで後から入院してきた患者のお世話をするのが伝統なんだ」といろいろお世話になりました。職人気質のあるやさしいおじさんでしたが退院なさるとなんだか少しさみしい気がします。数時間後、もう新しい患者である若いIくん入院のため来室。その夜、彼女とおぼしき女性の面会有り、若い人はいいなあ。(若いからといってみんなが彼女がいるわけではないのでしょうが)
ある短編小説の一こまが頭に浮かびます。
主人公Aには、長年つき合ってきた彼女Bがいましたが、最近あきがきたのか、もう別れようと考えていました。そんなある日、Aは、腹痛に悩まされ嘔吐のため吐き出したゲロの入った洗面器を枕元においてアパートの一室で寝ていました。そんなところへ見舞にきた彼女Bは、洗面器の中に指を突っ込んでなにやらかき回しています。
A「なにやってんだ!?」
B「何を食べたのが悪かったか見つけようと思って」
この時Aは、彼女との結婚を決意するのでした。
醜さ、汚さをものともしない姿に人は、本当の愛を感じるのではないでしょうか。
術後2週間余り、本日「29日退院です」との声をいただく。順調な回復、これまでのことがまるで嘘のよう。今日の付け替えはKさん(あっ、サイアクの章でご登場)、いつもクールなKさんの笑顔を初めて見た。(いやあ、美人の笑顔は最高です。なんて、お世辞がすぎるかな?)
本当に、ここで治療を受けてよかったと、朝の付け替えを終えてニコニコしながら診察室を出る、待合室には、怪訝そうな、不安げな外来の患者さんの顔、「みなさん、よかったですね、この病院に来られて」と、そう声をかけたくなるくらい爽快な気分。
退院間際、病棟のロビーに誰かが残していったのでしょう一冊の小説(小説、兜町:清水一行著)を見つけて読んでいましたら、おもしろい一説に出会いましたので、引用します。
「人間の体で肛門は力の中心だ。あらゆる力は肛門から盛りあがる。」
この物語、証券業界の株相場に絡むものですが、主人公の痔の治療の場面でこういう言葉が登場するあたり、著者もきっと痔の治療を受けたことが有りとみましたが、いかがでしょう。痔の治療で入院している者がこういう小説に出会うのも奇遇ですが。
本日いよいよ退院です。居心地の良かった入院生活、忙しい日常生活を思うとき、嬉しいような寂しいような複雑な気持ちです。
お世話になったスタッフの皆さん、本当にありがとうございました。
坂田肛門科医院に感謝
名医 坂田寛人先生
私が、いよいよ病院行きを覚悟したころ、どこの秒院へいくかを迷っていました。最初は、近くの新しいK医院にでも行こうかと考えていましたが、「痔は、へたなところへ行くと後々大変だって」とは、女房の弁。幸い、女房の友人が昔勤めていた医療商社の人づてに聞いてもらったところによると「北九州付近では、坂田しかないよ」との返事。「痔の治療には、なんといってもどれだけの数の人を看たかが大事。その点、あの先生はずば抜けて経験豊富。それに腕がいい。また、あそこは最新鋭の機器をいれている」ということでした。他でもない、医療関係の人が利害関係抜きにそう言うのだったらまちがいないだろう。少々遠いが良い先生ならそれが大事だろうと坂田医院に行くことに決めたのでした。
坂田先生の第一印象は、闘病記の中で述べた通りですが、坂田先生は評判どおりの先生であることを私はこの入院生活で実感したのです。ですから、私は、感謝の心をこめて先生を名医であると賞賛したいのです。私の実感は次の通りです。
(1) 先生は、自分の診察に自身をもっておられる。
(2) 私のいぼ痔は治った。
(3) 先生は、患者に信頼感を持たせる雰囲気がある
(簡潔な励ましの言葉、無用な叱責はされないなど)
(4) 入院患者同士の会話の中で、先生の悪い評判は一度も聞かなかった
(5) 病院内の他のスタッフの方々もいきいきしている
(指導者の悪いところにはそれなりのスタッフしかいないもの)
(6) ビデオの例に見られるごとく、新しいアイディアを導入する意欲が感じられる
どれも、私の主観であげたものばかり、思い込みもはなはだしいと思われるかもしれませんが、そう思わせるものがあれば、理屈ではないのではないでしょうか。
スタッフのみなさん、ありがとう
ちょっとしたことに、患者さんは、一喜一憂するものです。私を支えてくれたスタッフのみなさん(看護婦さんはもちろんのこと、薬局や受付の方、配膳、清掃などたくさんの人にお世話になりました)に感謝をこめて印象に残るエピソードを書いてみたいと思います。
・ 「夜中でもかまいません、何かあったらすぐ枕元のボタンを押して下さい。そのために私たちは宿直しているのですから。」
(看護婦F主任の言葉・手術前の説明会にて)
当たり前のことのように思えるかも知れません。患者の中には金を払って入院しているのだ、遠慮する必要があるかという人もいます。でも、このくらいで夜中に呼び出して良いだろうかと誰しも思うことがあるのではないでしょうか。そんな患者の心理を知ってか知らずか、先手をうって、こうおっしゃられるとそれだけで心理的に楽になります。「あなた方にとって最も大事なことは病気を治すことです。それ以外のことに気を使うことはありません」、そうおっしゃっているようです。
・ 「入院される方ですね、ご心配はいりませんよ」
(初心の時の受付嬢(薬剤師嬢?)の言葉)
「入院食もおいしいですよ」の章で登場された方の言葉を再度引用させていただきます。初心の帰りしなこの言葉がどれだけ私を励ましてくれたことか。坂田肛門科医院への信頼は、ここから始まったと云っても過言ではありません。
・ 「杉本さん、出ましたか?」
(便秘かな?と心配して相談した後、トイレで待望の快便。この時外にいた看護婦Sさんの言葉)
手術後、快便であったのが、ここ2、3日どうも便の出が悪い。あまり無理して出さない方が良いと聞いていたので傷の後戻りを恐れていきめなかった。この日、朝の検温時に「出ることは出るのですが、どうも出が悪いのです。」との相談をしてみた。「もう、手術後だいぶ経っています(10日目くらい)から、朝食後、便意があるのでトイレに座り込む、やはり出そうで出ない感じ、さっきの言葉をたよりに思いきって力を入れてみる、ええい、この際出しきってしまえとばかりに力を入れる、おお、出た出た月が!そっと、下を見る、やはり血は出ている、しかしなによりすっきりした。それに、痛みもそれほ� �ではない。おお、快適!その時、隣で老婦人の排便介助をされていた今朝の看護婦Sさんの声、
「杉本さん、出ましたか?」
「はい、すっきりしました!」
それにしても、私がここにいることを察していたのですね、その心配りに感謝です。
院内こぼればなし
・指定席
私の居た階には、15人の患者に対して4つのトイレ(ウォシュレット)がありました、これにまつわる話をひとつ。
患者には、それぞれ利用するトイレが決ってくるようです、いわゆる指定席です。最初は、気に止めて無かったのですが、同室のYさんいわく、「どうもあの奥のトイレでないと落ち着かん」そんなものかなと思いつつも考えてみると無意識のうちに自分もいつも同じトイレにまず入ろうとしているようです。
このことが決定的になったのは、次の出来事があってからです。ある日の付け替えの時「杉本さん、おしりをちゃんと手で洗って下さい、便が残っていますよ。」と看護婦さんに言われました。いやあ、恥ずかしいのなんのってありません。よくよく考えてみると、その日使ったトイレは、いつもの所が満席だったので別のトイレにしたのでした。「そういえば、今日の所は、いつもの所に比べると洗浄水圧力が弱かったな」。これで、私の指定席が確定しました。
余談ですが、この時の看護婦さんは、開通式の時にお世話になったKさんでした。Kさんとは、なにかと便に縁がありました。
・看護婦Mさん
患者の中で、うわさになる看護婦さんもおられます。ここに登場いただくMさんもその一人です。ある日の付け替えの時、私の前に順番待ちをしていた人がお先にどうぞと譲ってくれました。(付け替え用の診察台は2箇所以上あり、仕切られています)「はあ、そうですか」と中に入ると、こちらの台の担当は、Mさんでした。
部屋に戻って同室のYさんと雑談していると「一人、付け替えの時、痛い看護婦がいるなあ、みんなその人を避けようとしているみたいだぞ」と言われました。よく聞いてみるとMさんのことのようです。次の付け替えの時、またMさんでしたので、私は注意していましたら確かに他の看護婦さんに比べると痛いのです。まず、消毒をして、それから挿入薬を入れるのですがいずれも気にすると少し痛い、テープを貼るのにも力がこもっているように感じます。「なるほどな、このことか」。それにしてもみんな敏感だなと感心したものです。Mさんの名誉のために申し添えますが、彼女は、まだ若くて経験が浅いようです(看護婦さんは夜勤がありますが、彼女は、まだやっていないようですから)、若くてエネルギー が余っているのでしょう。でも他人の尻ぬぐいをするようなこんな仕事を選んでくださっていることに私は感謝します。あなたがたが、おられなかったら私たちは痔の激痛に悩まされ続けていたことでしょう。先輩の方々のことを学んで素晴らしい看護婦さんになられることを期待しています。
それが何をしているエストロゲン
・がんばれSくん
入院患者の中には、子供たちもいます。私の後に、入院して来たSくんは、今年小学校3年生になるそうです。ご両親の話では生まれて間もない頃から痔ろうになり、いままでに2度ほど切開をしたことがあるそうです。手術直前、隣の部屋から泣き声が聞こえてきました。たぶん、Sくんではないでしょうか。大人でも、手術と聞くと恐れを抱くものです。子供たちの場合は、なおさらでしょう。
泣き声を聞きながら、私にできることは、痛くないように、早く快復するようにと、ただ神に祈るのみでした。6才の息子をもつ私にとって、子供の苦しみはひと事とは思えないのです。
手術は、みんな真剣に見つめていました。梅干しの種くらいの大きさ(?)の根が摘出されました。切開個所は箇所のみ、ほっと一息です。手術の孤独さに一人耐えているのでしょうか、時折痛い痛いと声が聞こえます。「麻酔がよく効いていないのではないでしょうか?」とお母さんの心配そうな声、「大丈夫です、感覚が少し残るからそんな気がするんですよ」自分の経験からそう声をかけました。きっとそうです、そう思いつつみんなで見守りました。
手術の翌日、Sくんはもう自分で歩いていました。よくがんばったね、Sくん。
・私たちも本当につらかった
病院内の掲示板に張ってあったポスターが興味深かったので大まかに引用してみます。
痔の痛みは今も昔も同じ、歴史上の人物も密かに悩んでいたのです。
夏目漱石
文豪夏目漱石は重い痔ろうに悩んでいたそうです。未完の大作「明暗」は、主人公の痔の治療から物語が始まるそうですが、そのことは漱石自身の経験が生きているそうです。
ナポレオン
我輩の辞書に不可能の文字はないで知られるナポレオンですが、運命を決したワーテルローの戦いに敗れたのは、戦いの2,3日前から持病のいぼ痔が痛みだし、いつものような冴えた指揮ができなかったのが敗因だと伝えられています。
杉田玄白
江戸時代の名医として知られる杉田玄白ですが、慢性のいぼ痔に悩まされていたようです。「いかなるものか、しものほうにうるさくへつらうものありて、蒸し暖めて押し込めて後、生きたここちのするなり」と書き残しているそうです。
松尾芭蕉
奥の細道で知られる芭蕉は、旅の道中に持病のきれ痔が激しく痛みだし、余りの心細さに「持病さえおこりて消えいるばかりなん、短か世の空も、ようよう明くれば、旅立たん」という句を残しています。
この旅がもとで痔はさらに悪化し、俳句どころではなくなり、西方への旅は実現しなかったそうです。
マーラー
これからの交響曲は、私の時代がくるとの言葉の通り、大活躍したマーラーでしたが、ウィーン国立歌劇場の総監督の仕事が多忙を極め、若い頃から持病である痔が急激に悪化、オペラがはねた後、命にかかわる大出血をしているそうです。
どなたも歴史上の有名人物ですが、坂田肛門科医院の診察を受けられなかったことは、残念でした。
患者のひとりごと
・名医の条件
この病院で診察をうけることを決めた後、知人から、飯塚に日帰りで治せる良い医者があるという話を耳にしました。ああ、そんなところもあるのかと思ったくらいでしたが、この病院の掲示板の新聞の切抜きを見てびっくり。その記事を要約してみましょう。
「痔に悩む人よく聞いて・飯塚の名医は本当か・乱暴手術痕、無残」との見出しで始まる記事の詳細はこうです。
「小倉の坂田肛門科医院にはこのところ飯塚のT医院からの転院者がひきもきらないと、坂田医師は苦笑いをしている。T医院は、日帰りで痔の手術ができるというのが呼びもので多くの患者が今も訪れているということがあるが、ここで手術をうけた人の話を総合すると、T医院は医師会にも加入せず非保険診療で初診の患者に有無を云わせず全身麻酔にて手術を行いその日のうちに帰宅させるというものである。手術待ちの人の話によると何か焦げるようなにおいがしたとのことで転院患者の診療を行った坂田医師の話によると、肛門付近に明らかに手術傷と見られる傷跡があること、中には手術ミスで肛門が無くなっており人工肛門を余儀なくされた患者もいるということである。治るか治らぬかは運不運、これで は富士見病院事件(正常な女性の子宮摘出などの暴虐診療で刑事責任を問われた産婦人科医院の事件)と同じだ」
この記事を見たとき、ゾーっとしました。まさか病院の待合室にある新聞記事がねつ造されたものであるはずなく(記事の掲載された新聞名は明記されていなかったので、ことの真相を判断しかねた)このことが本当だとして、もしここに行っていたらと思うとあやふやな情報の恐ろしさが身にしみました。
この記事の正確さは、私が入院してみてはっきりしました。同室のYさん、私のベットの前患者Oさん、いずれもT医院にて2回、3回と手術を受け、数年後に再発、悪化の一途をたどり坂田医院の評判を聞いてT医院への通院途中で転院をきめたということでした。これに優る情報源はないでしょう。名医とはほ遠い謎医でしょう。
では、私たちの考える名医像とは、どんなものでしょうか。ある雑誌に「小医は病を治せず心も癒せず、中医は病は治すが心は癒せず、大医は病を治して心を癒す」とありました。
現代の医療を見ますと物質的医療を追求するあまり、病気の気の部分を癒すことが見逃されているとよく言われるところです。
もちろん患者への心配りがいくら良くても、肝心の治療がおろそかでは話になりませんが、患者の心を癒せぬ医者は、名医とはいえないといえるでしょう。では、心を癒すとはどういうことでしょうか。
病は気からという諺があります、また名医と云われる医師の方々はよく、病気は医師と患者が共に立ち向かうものというようなことをおっしゃいます。患者自身が病気を治そう、必ず治ると確信しなければ治りにくいものだということではないでしょうか。患者自身が必ず治る、治してもらおうという気持ちをもつのはどういう状況の時でしょうか。それは、主治医を心から尊敬し、信頼できるときではないかと思うのです。理想的な医師の姿とは、
(1) 絶え間ない自己研鑚に裏付けられた医療への自身
(2) 患者の精神的不安や状況を思いやれる心
の、二つに尽きる気がいたします。これがあれば、おのずと患者からは信頼され、患者からは信頼され、患者の不安を取り去るための情報提供や励ましの言葉をかけうる名医と賞賛されるのではないでしょうか。
・白衣の天使
医療現場、特に公立病院の病棟からの看護婦の削減と、看護婦の待遇改善問題がクローズアップされています。看護婦不足が叫ばれ白衣の天使の看護婦さんたちがデモまでして待遇改善を訴えるなかで国という名の権力者たちは経営改善を旗印にして看護婦削減を強行しています。その結果、心のこもった看護をできなくさせられ患者にもその影響が及ぶのは明らかでありましょう。また、近年完全看護の名のもとに家族の介護はおろか、専門の介護人を患者自身で依頼することもできないというのですから驚きです。看護婦の数を減らして完全看護とは・・・理解に苦しみます。機械に看護をさせようというのでしょうか、看護婦の方々は、医療の補助具ではありません。人間は、ひとりひとり違うように同じ病� �でも取り巻く環境は、微妙に違うのです。看護婦さんの一挙一動は時として医師のそれより重大な影響を患者に与えるといっても過言ではないでしょう。たとえば、ハイテクを駆使してまったく痛みのないような正確な注射を射つ無人機械ができたとしましょう。これに比べて「これは×××のための注射です、痛くないですか?」と看護婦さんに声をかけてもらいながら受ける注射とどちらがいいでしょうか。
忘れもしません、息子が3才の時、急性腸炎で市立病院に運ばれました。救急車で移送される直前の急患センターで浣腸をうけていましたが病室へ運ばれる途中で息子は急に泣き出しました。「ウンコが出たー!」というのです。看護婦さんに連絡しましたが猫の手も借りたいくらいの忙しさのようで(はたから見ていてもわかります)「ちょっと待って下さい」といったまま1時間くらい待たされました。別におむつを替えなくても(浣腸後、おむつをされていた)病気は悪化しないでしょうし、まして死にはしません。でも、こんなことでも待つ身はつらいのです。こんなこと(汚れたおむつの処理)くらいなら俺でもできる、させてくれと叫びたいのをがまんしていました。看護婦の方は、忘れてしまったのかもし れません、でも、誰が看護婦さんを責めることができましょうか。看護婦削減を強行にする人たちは、社会的地位を隠して庶民の姿で公立病院の(それもあなた方が看護婦削減を実施した病院の)患者となって入院してみてはいかがですか、医療現場の矛盾を肌で感じることができるのではないですか、特に永田町のみなさんは。
入院施設のある病院の看護婦さんは、たいへんだなあと病院に関わる機会があるごとに感じます。夜勤有り、いやな患者有り、少しでも失敗や、粗雑な処置をすると患者から陰口をたたかれ、医師と患者の間に立たされ、汚いことも率先してやり、本当に大変な仕事だなと思います。
はっきりいって、どんどん待遇改善すべきでしょう、行政改革すべきは他にたくさんあるではありませんか。このことは、公立病院について特にいえることです。民間病院は、おのずと淘汰されるでしょう、民間レベルでは、評判の悪い病院には、患者が集まらなくなり、経営が悪化すれば待遇改善どころではなくなり、そうなればよい看護婦は、よい病院に移り(そう簡単にはいかないかもしれませんが)よい病院は、客(患者)が客を呼ぶようにますます発展するからです。
看護婦の皆さんが仕事に誇りと使命感をもって看護にあたられること、そしてそれに見合う待遇があること、人間に等しく病の機会がある限り、この職業を目指して学ばれる貴重な看護婦の卵の皆さんにとっても、私たちにとっても、このことは保証されるべきものではないでしょか。彼女たちの奉仕の精神のみにたよるべき問題ではないと思います。
病棟の深夜、緊急ボタンの呼び出しに駆けつけてくれたあなたの姿、昼間とはちがった素顔のあなたの顔に天使の輝きを見たのは、私ひとりではないでしょう。
・患者の心得
入院、手術、でも痛い目にはあいたくない、誰しもそう思うでしょう。では、その秘訣はなんでしょうか。私が3週間の間に感じたその答はひとつ、主治医を信頼できること。病は気からの言葉のとおり、この先生だったら心配ないとそう思えれば心も落ち着きます。「大丈夫です」との先生の言葉を信頼できれば痛みも薄れる気がします。
そのためには何が大切でしょうか。
(1) 正確な情報に基づいて病院(医師)を選ぶ
(2) 主治医や看護婦の指示を必ず守る
これに、尽きるのではないかと思います。
「のどもと過ぎれば熱さを忘れる」と申しますが、手術後、少しくらい調子が良いからと自分勝手な判断で行動すると治癒を遅らせるだけです、慎みましょう。
それから、入院前に風邪をひかないよう気を付けましょう。(咳が出ると手術後の肛門が痛みますから)
・病気の意味
病気になって喜ぶ人は、いないでしょう。まして、病気になりたいという人もいないでしょう。入院当初、あわただしく手術をうけ、排便時の苦しみと闘っているうちは、何も考える余裕はありませんが10日もすると、時折、便に血が混じることはあってもさほど痛くないようになりました。そうなると、暇になります。私は、暇を見つけてはこの原稿をつくっていたのですが、これがなければずいぶん暇だったでしょう。忙しい日常を離れて命の洗濯だと思えるのも治る見込みのある病気だからでしょう。不治の病だとこはいきませんが、いったい世の中の病気の意味はなんでしょうか。意味なんかあるものかと断定ができるでしょうか。
三浦綾子さんという作家の小説に「塩狩(しおかり)峠」という作品があります。明治後期の北海道を舞台として、暴走する列車に身を投じて乗客の命を救った実在の人物をモデルとした長編小説です。この小説の中にこんな場面があります。
主人公の恋人である女性は生まれつき足の不自由な人なのですが、この女性をめぐる会話の中で主人公はこう言っています。
「世の中に病弱者や、障害者のあるのは、何か意味があるのだと思う。もし、世の中にこのような人がいなかったとしたら、人間はやさしさというものを持つことができないのではないだろうか。これらの人たちはそのために特別な使命をもってこの世に送られてきたのではないだろうか」(注:会話内容は、必ずしも原文通りではありません)
みなさんは、どうお感じでしょうか。三浦さんは、クリスチャンですがその信仰がこのような考え方を生み出すのでしょうか。私は、この小説を読んで教会に通うようになり、同じキリスト教徒になりました。ご一読をお奨めしたい小説です。
病気になると、人は病気の前にいかに無力であるかを思い知るのではないでしょうか。自分が無力であることを知る人は謙虚さを学び、人に対する優しさをあらためて知るのではないでしょうか。
坂田肛門科医院の魅力は、治療と看護の底流にこの優しさがあることではないかと私は思います。それは時として、厳しさという形で現われることもあることでしょう。
・医薬分業は必要か
厚生省の指導により、病院と薬局を分離するところが増えています。いわゆる医業分業です。薬剤師を医師の下に位置付けているのではなく独立した位置付けとすること。多数の病院にかかっている患者などの場合に生じる薬の飲み合わせによるところの副作用を防止することというのがその主目的のようです。これによると、患者は、複数の病院にかかっている場合でも各々の病院の医師が発行する処方箋をかかりつけの薬局へ持参し、そこで受け取る形となるというものだと理解しています。このため、一頃より病院内の薬局が無くなりすぐ近くに門前薬局といわれる病院の専門薬局がどの病院にもできる結果となっています。「これは、医業分業の過渡的現象であまり好ましくはないがいずれ各患者のかかりつけ薬 局をつくるよう指導する」という厚生省なりの言い分があるのでしょうが、これは本当に可能でしょうか。まず、考えられるのがいろんな病院の処方箋を近くの薬局に持ち込んだ場合にすぐ薬が受け取れるもだろうかという不安です。もし、これを可能とするには、地域内のすべての病院が指定する薬を各薬局が常時在庫を持たなければならないのです。患者としては早く治療をしたいのに仮にもし一度でも在庫切れなどにあうと、もう二度とその薬局を利用せず、病院付近の門前薬局を利用するだろうと思われます。先日、この医薬分業くに対応すべく多くの在庫を用意していた薬局の在庫が多数期限切れで廃業処分となったニュースを耳にしましたが、これは現状のみならず将来的にも避けられないことではないかと思います。患者の� ��場からすれば複数投薬の弊害を避けるための方法として極めて効率の悪いやり方だと思わざるを得ないのです。複数の病院から薬を受け取るのはそうでない場合よりかなり少ないでしょうし、仮に複数の病院から薬を受け取っている場合でも受け取っている薬のリストをいずれかの病院から受け取り、他方の病院に提示してチェックしてもらえばそれで済むのではないかと考えるのはですがいかがでしょうか。
現在のように結局、門前薬局で薬を受け取るのであれば患者にとって手間がかかるだけです。ましてや雨降りなどの場合は、傘をさしてそこまでいかねばならず老人の方などは、少なからず負担になっているのではないでしょうか。問題点の本質と大衆に受け入れられる方法を考え直すべきではないでしょうか。
・お見舞い再考
入院2週間余りたった平日、ある方がお見舞に来て下さいました。業務機器業者の営業マンEさんです。アフター5に「給料日前でこんな物しかありませんが」とおしゃって手土産片手に来て下さったのです。先日、我が家の機器の定期点検に来られたサービスマンの方から私の入院を聞いたそうです。
突然のご来訪でしたが、お忙しい中を時間を割いて下さり、たいへん嬉しく思いました。営業活動の一環ですなんて云ってしまえばそれまでですが、なかなか自分の時間を割いてまでできるものではありませんので感心いたしました。これはひとつ機会があればなにか仕事の面でも後日ご協力しようと思うのが人情でありましょう。
ともあれタイムリーなお見舞いだと思いました。といいますのは、たいていのお見舞の方は比較的早期にお見えになりますが、手術等を伴う入院の場合、入院初期はえてして手術後の痛みに悩まされていたり、安静にしていなければいけない期間だったりしてせっかくのお見舞を素直に感謝できない場合もあるからです。せっかく来て下さったのにこんな気持ちを抱くのも失礼かもしれませんが、自分が入院してみて初めてそう感じましたので一般的な心得としてはご参考になるのではないでしょうか。痔の手術の場合でしたら症状にもよりますが1週間後以降の方がよろしいかと思います。ただし場合によっては、一時も早くお会いしたい人もあるかもしれませんが。(たとえば、お若いカップルの皆さんなど)
・見えないところを大切に(痔の予防とその治療)
病んで健やかなることのありがたさを知る。ふだん私たちは、肛門にどれだけ気を留めて生活しているでしょうか。きわめて大切な臓器であるにもかかわらず決して他人の目にさらされることがないため案外粗末にしてはいないでしょうか。ご参考までに院内の掲示板の情報をもとに簡単にまとめてみました。
(1) 便秘や下痢をしないように食生活に気をつける
・便秘を防ぐ食物
@ 水分
水(8〜10杯)、牛乳、サイダー、ジュース、番茶、紅茶
A 野菜(セルロース)
レタス、パセリ、アスパラガス、ネギ、ワケギ、ニラ、ホウレン草、大根、
コマツ菜、白菜、キャベツ、ニンジン、サツマイモ、ゴボウ
B 脂肪
牛豚の脂肉、ラード、油(揚げ物)
C 乳製品
プレーンヨーグルト、バター、チーズ
D こんにゃく
E 果物
リンゴ、イチヂク、柿(しぶくないもの)、ブドウ
F 海藻
コンブ、ワカメ、ヒジキ、寒天、トコロテン
G その他
カンピョウ、ユリネ、ゲンノショウコウ、オカラ、ワラビ
(2) 長時間同じ姿勢を続けない(立ち続け、座り続けともダメ)
(3) おしりをいつも清潔に
排便時は、洗浄するか清浄綿などできれいに拭き取る
(肛門に便が残らないようにするには、洗浄が最適)
(4) 睡眠時間を十分にとる
(5) 規則正しい生活をする
快眠、快食、快便が基本です
(6) 毎日入浴し、おしりをきれいに洗う
(7) 腹圧をかけない
(おしりに力をのかかる仕事、スポーツを避ける)
(8) 深酒をしない・・飲み過ぎは、うっ血の原因です
(1) いぼ痔の場合
第一段階・・保存的療法安静、湿布、整腸、軟膏、座薬、内服薬
第二段階・・注射、結紮、冷凍
第三段階・・手術
(2) きれ痔の場合
きれ痔、潰瘍・・保存的療法:下剤、軟膏、内服薬、手術
(3) 痔ろうの場合
単純痔ろう、複雑痔ろう・・切開、手術
痔で悩んでいる人も痔の治療が終った人も、あの痛みを忘れずに大切な臓器である肛門を大切にしましょう。
肛門を大切にする生活習慣は、人生そのものを大切にする生活ですから。
痔友応援歌
"俺はイボジだ"主題歌「(痔の)友達よ泣くんじゃない」
♪ 友達よ 泣くんじゃない 今はつらいけど
♪ 友達よ 泣くんじゃない 明日は治るから
♪ 君の尻の中は いつも熱い嵐
♪ 何をしても 苦しい せつない 痔の毎日
♪ 友達よ 泣くんじゃない ここは(坂田医院は)君の味方
♪ 友達よ 泣くんじゃない 治れば 天国さ
あとがきに代えて
なぜ私は書き残したかったのか
入院中、私は一冊の文庫本を繰り返し読んでいました。書名は「どうしたら売れるのか・商売上手98の秘訣」(商売科学研究所・伊吹卓氏著・PHP文庫)です。この本の一節に「お客様をセールセマンにする」という項があります。よい店には客が客を呼んでどんどん商売が繁盛するようになるというものです。この本を読みながらまったくそのとおりだな、医療と商売を直接同じように論じるのはどうかという気もないではないが、基本は同じじゃないかなという気持ちがふつふつとわいてきました。
そう考えているうちにふと、私は私と同じように痔に登場するT医院のような謎医にかかる人が少しでも減るように情報提供したい)という気持ちがふくらんでまいりました。そして長年の悩みから開放して下さった坂田先生や看護婦の皆さんへの感謝の気持ちを形にしたいと思うようになりました。そこで、入院中に少しでも仕事のたしにしたいと思って持ち込んでいたノートパソコンを使って自分の闘病記という形での、いわば痔と坂田肛門科のPR誌をつくってみようと思いたったのです。そして、仕事関係や、友人知人で痔に悩む人に読んでもらおうと思ったのです。痔は恥ずかしい病気だという社会通念が強いなかでなかなか痔に関する正確な情報はつかみにくいものですし、人にも聞きにくいものです。痔の 闘病記なるものを公にするのは、私も恥ずかしいですが、一人で深刻に悩む人に「案ずるより産むがやすしですよ」と気軽に病院を訪ねて欲しいと極力おもしろおかしくなるように書いたつもりです。痔で悩む方のお役にたてればこれに優る喜びはありません。
関係先のお客さんの所での会話(M電気のCM、森口博子風に)
「お客さんラッキー!お客さんだけに教えちゃう、坂田肛門科のこと」
CMソングもありますよ
(はやとのCM風に、30代以上の人は覚えておられるかもしれませんが)
「♪治療に行くなら坂田、電話は1025,1025,1025、はっきり決めた、坂田に決めた、治療に行くなら坂田・・♪」
おことわり
念のため申し添えますが、この小冊子は私個人の発意によって作成したものであり内容に関する文責はすべて私個人にあるもので、坂田医院には一切関係ありません。
なお、本書をご覧になって他の方にも差し上げたいと思われる方がおられました(そうなれば望外の喜びですが)ご連絡下さればさっそくお送り致します。
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追記 2009.10.4
医療技術の進歩はめざましいものがあります。上記の痔闘病記の作成は、1994年の記録です。
坂田医院に関する評価は今も変わりませんが、日帰り手術が可能な医院として下記医院も推薦致します。
( 家族が昨年お世話になり、そのご経過良好です。私が今後お世話になるとすればこちらの医院に行くつもりです)
小田日帰りクリニック (福岡市)
その他の地域では、大腸ドットコム サイトをご覧下さい。
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